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    カテゴリ:芸能 > 破局、離婚


    大黒 摩季(おおぐろ まき、1969年12月31日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家。所属事務所はビーイング。所属レコード会社はBeing。北海道札幌市南区出身、藤女子高等学校卒業。実家は製パン業の札幌キムラヤを営んでいる。血液型はA型。
    73キロバイト (5,541 語) - 2019年12月21日 (土) 00:06



    (出典 ent2.excite.co.jp)


    よくできた人ですね

    1 muffin ★ :2019/12/21(土) 13:36:25.67 ID:0leemUxx9.net

    大黒摩季、離婚していた 長い不妊治療も…元夫に感謝「大好きだから幸せになってほしい」
    12/21(土) 3:30 スポニチアネックス
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191221-00000000-spnannex-ent

    離婚したことを明かし、“私、ロックと再婚しました”。左手薬指にはめたクロムハーツの指輪を披露する大黒摩季

    (出典 amd.c.yimg.jp)



     ロックシンガーの大黒摩季(49)が今年4月に離婚したことが20日、分かった。スポニチ本紙のインタビューで明らかにしたもので、子宮疾患と不妊治療との凄絶な闘いだった16年間の結婚生活に終止符を打った理由を「子供を産めなかった罪の意識を抱えて生きるより、彼の幸せを応援する人生を選んだ」と説明。元夫は再婚し、子供もいる。「私も仕事も恋もブイブイいきます。50歳の“肉食系ヤミ子”の爆走よ!」と笑顔で宣言した。

     大みそかで50歳を迎えるのを目前にした離婚の公表。「自分から離婚発表するのも変だし、でもこのまま公表しないでいると、ただでさえ大黒摩季に寄ってくる男がいないのに、不倫となったら絶対誰も来ないままだから!」と大笑いで理由を明かした。

     同い年の一般男性と結婚したのは2003年。以前に発覚した子宮疾患が深刻化し、歌手活動を休止して病気と不妊治療に専念したのが9年前。左卵巣嚢腫(のうしゅ)などさまざまな病気を併発。急性腸炎や腹膜炎などにも悩まされ、受精卵を凍結保存した上での子宮全摘手術にも臨むなど、壮絶な闘病生活だった。

     「不妊治療すれば病気が悪くなり、病気を治せば不妊治療の当たりが悪くなる。その負のスパイラルの中で0・1%の望みにかけたけどダメだった。最後の卵がなくなったのが一昨年の9月。何回泣いたか分からない。生まれて初めて絶望した。それまでは仕事なんかでも少々の挫折は盛り返せたし、頑張れば結果に結びついたけど、こればっかりは私自身の体の問題でもう限界だった」

     脳疾患で体が不自由になった母親が、がんも患い、その介護もしながらの生活。離婚を切り出したのは大黒。

     「彼も明るく(子供を)諦めたつもりになってくれているんだけど、それが私には刺さって。お友達の家族と遊んでいる時にその子供を抱っこしている表情を見て“この人こういう顔するんだなあ”って…。私は一生、この罪の意識と生きていくのかと。そうなるといつか小憎らしいことを言うようになっちゃって、そんな醜態さらして生きていきたくはないと思うようになったの」

     夫への感謝も大きかったという。「彼はいい人だし、大好きだから幸せになってほしいって心底思うようになって。自分の中でいろんなものが削(そ)ぎ落とされたら、痛みから解放されて、変な闇が来なくなったの。本来の明るくポジティブな私が取り戻せてきて“私が好きな私”がよみがえってきた。2人でいながら罪の意識を抱えて生きていくより、彼の幸せを応援する方が楽だと思ったの。彼も説得するうちに受け止めてくれて、新しい恋をしようねって離婚に合意したのが昨年の初めだった」

     離婚届に署名したが提出したのは今年4月22日。「私がツアーでうっかり出し忘れた間に彼に新しい人ができて妊娠の話を聞いて。これは届け出したら騒がれるから妊娠不安定になって流産したら大変だし、自分は流産経験者だけにこれは大事にせねばと思い、彼らの生活が落ち着いたのを見計らって出したの。彼らの幸せを守りたかった。私は産めなかったけど、彼にあげたかった最大のプレゼントがそこだったから」

     提出翌日に購入したクロムハーツの指輪が、今の心境の象徴だ。「私、ロックと再婚したから。これからは恋もブイブイしますよ。苦しかった時の経験を生かした“闇曲”が湧き出ているので、60歳まで肉食系ヤミ子として爆走します!」

     「50歳で50トライ」をスローガンに、22日には都内でイベントに出演。代表曲にかけて「♪私の夏はきっと来る…って、今は心底歌いたい気分」と笑った。

     ◆大黒 摩季(おおぐろ・まき)1969年(昭44)12月31日生まれ、北海道札幌市出身の49歳。3歳からクラシックピアノを始め、藤女子高を卒業後に上京。CM音楽の作曲、ボーカルの仕事を始め、92年「STOP MOTION」で本格デビュー。「DA・KA・RA」「ら・ら・ら」「熱くなれ」などがヒット。

    (おわり)

    前スレ(★1=2019/12/21 04:16:27.96)
    【音楽】大黒摩季、離婚していた 長い不妊治療も…元夫に感謝「大好きだから幸せになってほしい」★2
    http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1576889509/


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    あびる あびる ゆう、1986年7月4日 - )は、日本のアイドル、タレント。本名、才賀 (さいが ゆう、旧姓:阿比留(読み同じ))。 福岡県大牟田市生まれ、東京都育ち。ホリプロ所属。 2001年にテレビ東京の朝の児童向け番組『おはスタ』のアシスタントおはガールとして芸能界デビューした。おはガ
    14キロバイト (1,710 語) - 2019年8月21日 (水) 14:21



    (出典 asuka-shimizu.com)


    しんけんが父親ってよっぽどww

    1 ひかり ★ :2019/12/13(金) 17:14:59.80 ID:Snzcwo179.net

     2014年9月に結婚したタレントのあびる優(33)と格闘家の才賀紀左衛門(30)が離婚していたことが13日、AERAdot.の取材でわかった。
    二人を知る関係者によると、12月上旬に夫の才賀さんが一人で離婚届を提出したという。

     あびると才賀は13年に知人の紹介で知り合い、翌年春に交際をスタート。約半年間の交際期間を経て、あびるが生放送の『アッコにおまかせ!』
    (TBS系)内で結婚を発表した。

     あびるは15年5月に長女を出産。家族3人の仲むつまじい様子の写真をインスタグラムやブログなどに多数投稿していた。
    17年1月には「朝からテキパキ家事と娘のお世話をこなしてくれてる彼。ありがとう。」と家事と育児に参加する夫へ感謝の言葉も投稿していた。

     そんな幸せな家庭に暗雲が立ち込めたのは同年10月のことだった。才賀が美人モデル宅に宿泊したと写真週刊誌に報じられたのだ。
    あびるはインスタグラムで「現状を理解しながら、ひとつひとつ問題を解決していきたいと思います」とコメントし、才賀もインスタグラムで謝罪。
    「家族としっかり話し合い、一歩ずつ前に進んで参りたく考えております」と投稿した。前出の関係者は
    「子どももまだ小さかったので、夫婦で協力して乗り越えようとしていた」と話す。
     
     その後、あびるは昨年5月に家族3人が笑顔で並んだ写真をインスタグラムに投稿した。そこには「家族、夫婦、親子、色々な事があっても
    家族として夫婦として投げ出さず(100万回くらい投げ出そうとしたし、これからも色々あると思いますが笑)今日まで私達を繋ぎとめてくれたのは
    間違いなく娘の存在あってこそ。娘のおかげで私達も成長させてもらってます…パパとしてママとして、これからも娘の笑顔をひとつでも多く
    見られるように頑張ります」と決意がつづられていた。才賀も、今月5日に自身のYouTubeチャンネルの動画で「男は大黒柱じゃないとダメ。
    家族を守りたい」と語っていた。

    「愛娘のために頑張る」「家族を守る」。そう決意した夫婦に、いったい何が起きたのだろうか。

     二人の関係をよく知る友人は「実は離婚をしたがったのは夫の才賀さんのほうなんです。小さな娘がいるのに、ほぼ毎日夜遅くまで
    飲み歩くあびるさんに我慢の限界を迎えたようです。お酒に酔ったあびるさんが深夜2時や3時に帰宅した後、夫と娘を起こして
    騒ぎ立てるということも頻繁にあったそうです」と話した。

     親権はあびるではなく才賀が持つという。

    (AERA dot.編集部)

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191213-00000007-sasahi-ent

    (出典 i.imgur.com)


    【【離婚していた】あびる優、離婚 夫が我慢できなかったあびるの悪癖】の続きを読む


    神田 沙也加(かんだ さやか、1986年10月1日 - )は、日本の女優、歌手、タレント、声優、ナレーター。東京都出身。ファンティック→ローブ所属。身長157cm。血液型はA型。 以前は芸名『SAYAKA』で活動をしていた。 俳優の神田正輝と歌手の松田聖子の長女。父方の祖母は女優の旭輝子。
    87キロバイト (10,965 語) - 2019年12月7日 (土) 05:50



    (出典 i.ytimg.com)


    後からなら何とでもいえる

    1 砂漠のマスカレード ★ :2019/12/09(月) 19:56:34.38 ID:qg+8HhDs9.net

    女優、神田沙也加(33)と俳優、村田充(42)の離婚のニュース。「離婚発表と同タイミングで、女性誌が沙也加の不倫疑惑を報じたため、原因は不倫かと思われましたが、村田がブログで不倫を否定。こうなるとグレー決着でしょうね」と情報番組デスク。

    「出産に関する見解の相違が離婚原因だと両者のブログには書かれていましたが、沙也加の気持ちが離れたのは、夫の束縛感が強いから。夫が舞台の楽屋にもしょっちゅう来ていましたが、最初は愛情だと思っていたら案外そうじゃないと聞いたことがあります」と演劇関係者。「スマホでも居場所が確認できる設定を求められ、ペアのものを持ちたがるのもどうも嫌だったようですね」

    沙也加の不倫を報じた女性誌の見出しは「アナ雪大ヒット中にまさか!」と、配給元にはもらい事故のようなタイトルが! それでも「映画関連イベントは2日の大ヒット記念イベントで終了し、神田の出演はありません。声の出演者の離婚ぐらいで、興行収入がびくつくような映画ではありませんから配給元も心配してない感じです」と映画宣伝会社スタッフ。

    https://news.livedoor.com/article/detail/17500855/
    2019年12月9日 17時13分 ZAKZAK(夕刊フジ)


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    大橋 未歩(おおはし みほ、1978年8月15日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元テレビ東京アナウンサー。所属はプントリネア。 兵庫県神戸市須磨区出身。神戸市立北須磨小学校から神戸女学院中学部・高等学部に進み、一年の浪人を経て上智大学法学部法律学科に入学。
    25キロバイト (3,154 語) - 2019年11月30日 (土) 09:37



    (出典 www.nikkansports.com)



    1 砂漠のマスカレード ★ :2019/12/04(水) 17:00:11.57 ID:4wQ1aVE/9.net

    元テレビ東京の大橋未歩アナウンサー(41)が、元夫でプロ野球日本ハムの城石憲之コーチと離婚に至った経緯などを明かさない理由を説明した。

    大橋アナは3日、ツイッターを更新。「離婚理由を何故説明しないんですか?と言われたりするけど」と書き出し、
    「誰かを悪人にしなきゃ気が済まない世間において、長年お世話になった方が1ミリでも悪く言われる危険性を秘めたことを言うわけがない。
    『両者に非はあるし両者に非はない』という真実を全員が理解してくれるとは思えないからこのままでいい」とした。

    大橋アナは2007年に城石氏と結婚したが、16年に出演したテレビ番組内で、城石氏と離婚したことと、すでにテレビ東京社員の男性と再婚していることを明かしていた。

    https://news.livedoor.com/article/detail/17477235/

    2019年12月4日 15時54分 日刊スポーツ


    【【意味深】大橋未歩アナ 明かさぬ離婚経緯「言う訳がない」理由】の続きを読む


    神田 沙也加(かんだ さやか、1986年10月1日 - )は、日本の女優、歌手、タレント、声優、ナレーター。、。東京都出身。ファンティック→ローブ所属。身長167cm。血液型はA型。 以前は芸名『SAYAKA』で活動をしていた。元夫は俳優の村田充。 俳優の神田正輝と歌手の松田聖子の長女。父方の祖母は女優の旭輝子。
    87キロバイト (11,000 語) - 2019年12月4日 (水) 06:10



    (出典 www.sponichi.co.jp)


    早かったね

    1 ひかり ★ :2019/12/04(水) 12:52:22.50 ID:FRwJe9lB9.net

    ■神田沙也加と村田充コメント全文

    【神田沙也加】
    突然のご報告ではございますが、

    私、神田沙也加は、村田充さんと離婚しておりました事をご報告いたします。

    結婚以来、子供のことについてずっと話し合ってまいりましたが、折り合う答えを見つけることが出来ませんでした。

    何度も歩み寄りを試みましたが、わたしは生きてきた環境の中で持った考えを変えられず、彼を幸せにすることが出来ないと思いました。
    その結果、別々の人生を歩むという結論に至りました。

    それに伴い充さんの舞台出演が決まり、そちらへ影響を及ぼしたくなく、そして今年の自分のお仕事の関係者の皆様にご迷惑をお掛けしてはならないという思いで、
    来年1月までファンの皆様や関係者の方々に対してのご報告は控えるつもりでおりました。

    ですが今回、とある週刊誌さまより記事掲載のご連絡を受けました。
    なのでこのタイミングでお話しさせていただくことに致しましたが、
    充さんは勿論、記事に関係するかた、関係者の皆様にもご迷惑をお掛けしてしまう事となり、一刻も早くご報告すべきだったと深く反省しております。

    円満に離婚をした為、別居を始めるまで離婚後も少しのあいだ同居期間がありました。そこでわたしのプライベートの話も、充さんには全て報告してきております。

    この度のことで多大なるご迷惑・ご心配をお掛けし、皆様に不快な想いをさせてしまった事を心から悔いております。
    大変申し訳ありませんでした。

    【村田充】
    私ごとで大変恐縮でございますが、
    私、村田充は神田沙也加さんとの婚姻関係を解消しておりますことを、ご報告申し上げます。

    私、村田充と神田沙也加さんは、結婚以来継続してきた夫婦の在り方について、
    子どもが欲しかった私と、前向きになれなかった彼女とで折り合いがつかず、
    互いを尊重し、前を向いてそれぞれの人生を歩むという結論に至り、
    今年の夏、二人で円満に離婚届を作成し、離婚に双方合意をいたしました。

    その後、関係各位に筋を通すタイミングを調整する中で私の仕事も多忙になり、
    また、彼女が取り組んでいるいくつかの大きな仕事に対する影響を考慮し、ご報告は年始にすることが最良と考え、公表を控えておりました。
    婚姻関係は解消をいたしましたが、沙也加さんの理解者として、今後もサポートは続けていく所存です。

    先日、仕事に向かう途中で、とある媒体の記者様から直接のご質問をお受けしました。
    その際に別居、不倫、離婚の事実について問われました。
    別居についてはお認めしました。
    不倫については否定をさせていただきました。離婚成立後に、彼女からプライベートの報告も聞いております。
    上記の通り、ご報告の時期を年始と考えていたため、事実とは異なりますが離婚についても否定をいたしました。
    以上のことから、今後混乱を招いてしまうと予想し、このタイミングでのご報告とさせていただきます。

    離婚のご報告が遅れましたことで関係各位ならびにファンに皆様に対しまして、
    大変なご迷惑、ご心配をお掛けしますことを、深くお詫び申し上げます。

    この度は誠に申し訳ありませんでした。

    オリコン
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191204-00000331-oric-ent

    https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1575428041/


    【【離婚】神田沙也加と村田充が離婚】の続きを読む

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